気づいたら看護師○年目

気づいたら○年目だった看護師の思うことを書きます。

「とある看護師さん、90歳過ぎた認知症の人に透析導入に疑問 「1年の透析費用の約○○円は税金から使われる。なんのために看護師やってるんだろうと思う」という記事を見て思ったこと。

まとめサイト「とある看護師さん、90歳過ぎた認知症の人に透析導入に疑問 「1年の透析費用の約○○円は税金から使われる。なんのために看護師やってるんだろうと思う」という記事を見かけた。

 

blog.esuteru.com

 

その記事ではとある看護師が90歳を過ぎた認知症患者が透析を導入して、毎回身体拘束(両手首を紐で縛られたり腰をベルトでベットに固定)をされながら透析を受けている。その患者の透析のために年間約500万円が税金から使われている。透析患者は障がい者手帳持ちのため医療費は無料。何のために看護師をやっているんだろうといった内容である。

 

このツイートを見た人の反応には「人の命を軽んじてるやつが医療業界にいるほうがおかしい誰であろうと全力で救うべき」、「生き汚い老人の無限の欲望を実現するために若者が奴隷にされる美しい国」、「透析ってやってる本人も地獄の苦しみやぞ、それを縛り付けてやってるんだから察しや」などの賛否両論なコメントが寄せられていた。

 

患者さんや家族に直接そんなことは言えないけど、気持ちはよくわかる。

税金がもったいないとか、なんで看護師やってんだろとは思わないけど、認知症患者への医療について思うことがあるため、つらつら書いていこうと思います。

 

 

透析の現場ではないけども実際医療現場で働いていると、認知症を持つ80~90歳の患者でも身体への負担の強い高侵襲の手術を受けたり、自宅や施設で状態が悪化して救急外来へ来院。その後、挿管(口から酸素を送る管を入れて人工呼吸器に接続する)して救急医療のフルコースという光景を目にする。そんなことは超高齢社会の日本では珍しいことではないのかもしれない。

 

 

意思決定ができないほどの高度認知症患者の場合、なぜこうなるかといえば、医師から説明を受けた家族は「今まで命の危機の時にどうしたいか話しあっていなかった。できることはすべてやってください。」という意思決定を本人の代わりにするパターンが私自身の経験では多い。

 

高齢いや超高齢の親を持つのにそういう話をしていなかったとは・・・と医療者として自分が思う反面、自分の大切な人がそういう状況になった場合、医療に明るい人間でなければ、なんとか救命して欲しいと思うだろう。

もしかするとそういう純粋な思いだけではなく年金目当てという思いも、医療者でなかった場合、私が代わりに認知症の親の意思決定を行う番が来たときは頭によぎるのかもしれない。

 

話しを「身体拘束をされながら透析を受ける90歳過ぎの認知症患者」に戻します。

透析というのは人工透析のことで、腎臓の機能がなにかしらの影響で弱る又は失われる場合に導入される治療法だ。透析には腎機能が回復するまで一時的な透析と、今後透析を行わないと死に至る人が行う維持透析がある。おそらく今回の患者さんは後者の維持透析だと思われる。



維持透析となると腕から大量の血を吸い出すための動脈と静脈を吻合する透析シャント造設手術を受ける必要がある。そうして作ったシャントから多量の血液を透析器が濾したりして廃物を抜いたキレイな血液をまた戻す。これが透析という治療となるが時間は週に数回・数時間かかるし、急激に血液を抜いて老廃物も抜くわけだから身体はしんどいらしい。

長年透析をしている患者さんでももう辞めたいと思う人もいるぐらいだ。シャントも一度作れば生涯使えるわけではなく、シャントが詰まったり使えなくなると詰まりを解除する手術や新たに造設手術を受ける必要もある。

 

今回の患者さんの認知症がどの程度かはわからないが、自身の置かれている状況が把握できないのに、痛み止めがあるとはいえ腕に太い針を刺されて血液を抜かれてしんどいとなると、まぁパニックや不快感から暴れてしまうだろう。そんな患者さんが安全に透析を数時間受けられるようにするには身体拘束や何かしらの薬でボーっとしてもらう他の手は思いつかない。

そんな状況で透析を受ける患者さんを見ると、私は本当にこの認知症患者さんにとって良い意思決定なのだろうか?医療者としては患者さん本人はかなりつらい状況だろうなと思うだろう。

 

認知症のうち数%の治療可能な認知症を除き、ほとんどの認知症は不治の病だ。一度発症すると進行はしても戻りはしない。症状が進行すると徐々に弱っていき死に至る。食べ物などを飲み込む嚥下機能の低下を来し、食事の際にむせるなどして気管に食べ物が入りこむ誤嚥などで、肺炎を起こし亡くなるケースが多いと言われている。アメリカの研究ではアメリカ国内の死亡原因のTOP10に認知症という結果がでている。発症から10年程度で死に至ると言われている。

不可逆性で10年以内に死に至る病かつ超高齢だから治療はしませんと病院サイドから断ることはできない。本人は意思表示できないだけで生きたいかもしれないし、家族は理由はどうあれ生きてほしいという思いはあるだろう。日本人の死生観的には死を遠ざける傾向があると言われているし、大事な人が死ぬ選択を下せる家族は少ないだろう。

 

長々と書いたけども、私が今回思ったことは

 

・ツイート主の気持ちはわからなくもない。(税金や、やりがい云々は考えない方がいいと思う。)

 

認知症はいずれ死に至る進行性の病気と認識したい。

 

・大切な人に聞ける時に、最期はどうしたいかを聞いておけばハッピーな意思決定ができるかもしれない。

 

偉そうに能書きをたれましたが、果たして私は親の最期をハッピーなものにできるだろうか・・・それが課題です。